サートリス的読書

このまえ読んだ『サートリス』と関連があるとかないとかで、
フォークナー短編集 (新潮文庫)』にはいってる「バーベナの匂い」と、
エミリーに薔薇を (福武文庫―海外文学シリーズ)』にはいってる「女王ありき」を読みました。

フォークナー短編集 (新潮文庫)

フォークナー短編集 (新潮文庫)

エミリーに薔薇を (福武文庫―海外文学シリーズ)

エミリーに薔薇を (福武文庫―海外文学シリーズ)

まず、「バーベナの匂い」のほうは、『サートリス』の主人公であるヤング・ベイヤードのおじいちゃんの、
ベイヤード・サートリスとそのお父さんのジョン・サートリス(ヤング・ベイヤードのひいじいちゃん。
サートリス家にはベイヤードがいっぱいいるんです)のお話。
そして「女王ありき」は『サートリス』に描かれてる物語の8年後のお話で、
ヤング・ベイヤードの妻ナーシサ・ベンボウと、
うえのジョン・サートリスの義理の妹にあたるミス・ジェニー(御年90歳)が中心となるお話です。
バーベナの匂い」は独立した物語として(『サートリス』読んでなくても)けっこう楽しめると思うんだけど、
「女王ありき」は『サートリス』読んでないとちょっと厳しい感じですかねぇ。
「あぁ、サートリス家もおわったな」っていう感慨に近いものが、
『サートリス』読んでたほうが良く感じられると思う。


それはそうと、『フォークナー短編集』の訳者あとがきで、
トルーマン・カポーティは「エミリーに薔薇を」のレトリックを一笑にふしていたが――」
って書いてあったんだけど、んなこと言ったらおめー(カポーティさんね)の「無頭の鷹」はどうなるんだよ。
あれがあかんかったらこれもあきらかにあかんやろとか思った次第。
いや、僕はどっちも良い小説だと思いますけどね。